SEVENTEENボーカルチームリーダーのウジと、パフォーマンスチームリーダーのホシの、幼少期からデビューするまでのエピソーです。

ウジの幼少期

ウジが幼い頃に通っていた英語塾の院長先生は、音楽が大好きな人だったそうです。
そんな先生だったので、ウジには英語よりも音楽をたくさん教えてあげていました。
おかげでウジは、色々な種類の楽器に触れる機会に恵まれました。
牧師を兼任していた院長先生は、毎日のように小学生のウジを連れて協会へ行き、聖歌隊が使っていたピアノ・ギター・ドラムなどを触らせてあげていました。

院長先生の奥さんがクラリネットの先生だったので、ウジはクラリネットを教わっていました。
それからウジは、クラリネットを中心にクラシック音楽を始める事になったようです。
小学校高学年〜中学2年生になるまでは、よくコンクールにも出場していて、当時のウジは当然クラシック音楽の道へ進むものだと思っていました。
しかし英語塾の授業で、洋楽ポップソングを歌いながら英語を学びはじめると、ポップスへ関心を持つようになりました。
まわりから「歌が上手だね」と褒められる事が多くなると、「僕は本当に歌が上手なのかな?」と思うようになり、そんな時にちょうど釜山の街角に貼ってあったオーディションのポスターを目にします。
ソウルに行って自分の実力を試してみたいという気持ちで両親を説得し、オーディションに参加して、英語塾で習った歌を2曲をギター弾き語りした結果、参加者300人の中で1人だけ合格しました。
その後ウジは、2011年にソウルへ上京してプレディスに入社しました。

ホシの幼少期

ホシは元々テコンドー公認4段で、選手としての将来を期待されていました。
ある日、プムセ(足の動きを特徴としたテコンドーの型)の競技に出るために、テコンドー体操をすることになり、それがホシとダンスの初めての出会いでした。

小学生のホシは、音楽に動作をピタッと合わせる事がとても面白く感じ、そこから音楽にも興味を持つようになり、毎晩英語のCDを聴いてみたり、お父さんの友達がくれたSHINeeのCDをこっそり聴いたりするのが楽しかったんだそうです。

15歳になった頃に、7年間続けて来たテコンドーを辞めてしまい、その後に友達と一緒にダンスコンテストに出場することになりました。
なんとコンテストに初出場で優勝したホシは、学校のダンスサークルに所属する友人から「是非サークルに入って欲しい」と勧誘されました。
しかし、そのダンスサークルは人数が少なく、廃部寸前の状態だったため、ホシはその友人と一緒に新しいダンスサークルを作る事にしました。
3年連続でクラス委員長と善導部(日本の風紀委員に近い)を兼任するほど優等生だったホシには、顧問になってくれる先生もいたし、新しいダンス部員の募集も順調で、「ディープブルー」というダンスサークルを開設することができました。
そしてこの頃から、自分でダンスの振り付けを作り舞台に立ち始めました。

市のダンス大会に出場して優勝するなどして活躍していたディープブルーは、ある日京畿道大会に出場する事になりました。
この道大会にプレディスの関係者が来ていて、ディープブルーのリーダーであるホシに注目し、大会後にホシをスカウトしました。
なお、この時のスカウトの言葉は「アイスクリーム買ってあげる」だったそうです。
ホシは事務所に入るまで、専門的なダンスレッスンを受けた事が一度も無かったといい、そんなホシがオーディションを受けるのを見ていたウジは「一度も習った事が無いやつが、何でこんなにうまいんだ?不公平だ!」と思ったそうです。

アイスクリームを買って貰ったホシは、こうして2011年に16歳でプレディスに入社しました。