画像引用元:blog.naver.com(韓国語)

雑誌インタビュー(韓国雑誌singlesの2006.5月号より)②
前回の記事の続きです。

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スカウトされた時の事

Q.ところで、どうして芸能人になりたいと思ったの?
芸能人になるにはルックスにかなりの自信があって、いわゆる「王子病」も少し必要なのに。
特に地方に住んでいたら、なおさら。

A.地方ではTVの中に出てくる世界は別物だと思っていた。
高校生の時に僕たちの学校には芸能人になりたくてソウルへ行ったり来たりしてた子が1人いたんだけど、まぁ(TVに)出てくる様な事も無く、笑っちゃったよ。
その子が「最高!」ってイメージを植え付けてて、口に出しては言えないけど心の中では「バカじゃない?」って思ってた。
当然ソウルの大学に行くからソウルで何かをしなくちゃって考えは微塵も無かった。

Q.それじゃあ元々医者になるつもりだったってこと?
A.僕の人生はずっと変化している。
子供の頃は特に漠然と科学者、高校の初めくらいは大企業でも学校でも研究所に入って、ずっと残って勉強をしたかった。
そういう純正化学を考えていたんだけど、その時ちょうどIMFが始まった。
成績とは別の所でそういった状況だったから、周りの大人たちの勧めで専門職の歯科大学に行く事になったんだ。
なんにせよ最終的な決断は自分がしたんだけど、学校へ通えば通う程、このまま続けるのはちょっと違うなって思った。
やらなきゃ、やらなきゃって思っても辛かった。
そんな拍子に、偶然に新林洞(シンリムドン)のボンチョン交差点の伝統居酒屋でマネージャーに出会った。

Q.新林洞?いや、それも居酒屋でスカウトされたってこと?それはとても怪しいな。
A.あ、そのボンチョンの交差点で。
わからなくていった事でそれはどうでも良いんだ。
ロッテリアもあって、そこは大きくて本当に。
新林洞289終点(ソウル大近くの停留所)の辺りはさびれてるけど、ボンチョンの辺は繁華街で..
とにかく、そこへ歌の上手な女子高生に会いにマネージャーが来てたんだ。
その歌の上手な子っていうのは歌手のGummy(本名パクジヨン)。
その頃からジヨンと知り合った。
その時のジヨンは高校2年生で僕が大学生で。
それである日、マネージャーと彼女がその辺で会ってる時に、僕は僕でその辺りで友達と飲んでいたら、そのマネージャーが居酒屋まで訪ねて来た。
そうやって1人(マネージャー)と知り合いになって、しばらくそういった方々と会う様になって誘惑されたというと変だけど、結局こっちの世界に足を踏み入れた。

Q.それじゃあ、学校はなぜ辞めたの?結局芸能界の方が向いてると思って(大学は)諦めちゃったの?
A.正直最初は学校に通いながら、軽く趣味みたいな感じでやらないとなって思ってた。
その時、僕と同じ科にVJとして活躍してたキムヒョンギュ先輩がいたんだけど、その先輩みたいにやっていきたかった。
学校の校則みたいなものも良く知らなくて、授業を3回欠席したら最低評価のF(不可)ということも知らなかった。
それで何か結局..その〜なんとなく通うのが嫌になって投げ出そうって風になったってこと。
正直このまま行ったら退学だったから、こっちから先に退学届を出して先手を打ったんだ。
今では笑いながら話せるけど、当時は真剣だった。

Q.本格的にこっちの活動を始める覚悟もあったんだろう。
A.そう。それで編入して準備をして昨年「中央大学演劇映画科3学年」に入る事になった。
しかし、学校を辞めるまではたいして大変な事がなかったのに、社会へ出てからはかなり大変だった。
所属事務所の問題もあって、単純なことではない様な問題もあった。
その時は高3の頃みたいに眠る事も出来なかった。
その時期を越えて本当に社会人になった、大人になった。
もちろん今はとても良く眠れるよ。

Q.今まで生きて来たあなたの人生の中で、あなたが下したたくさんの選択に後悔する所は全くないのね。
A.人間は後悔しないってことは出来ない。
でもしない様に努力する。
後悔する事は、生きていく上で全く得にならないから。
タイムマシンがあったら、昔に行きたいとも思う。

Q.昔に戻って1番最初に自分の選択を正したい事は?
A.他の専攻を選択する事。
歯科大学ではなく、1番やりたかった電子工学とか機械工学の方を選択する事。

Q.実際につかんでみたら、多分たいしたことないもんだと思うよ。
カイスト(韓国国立科学院)に通ってる友達を見てると、毎日実験をして、人々の生活は話にならないよ。

A.本当にやりたくて行ったのと、半強制的に行ったのとでは違うよ。
もちろん今そんな風には出来ないけれど、初めからそうやって生きていたとしたら、ソウルとか芸能界とか、この世界を知らなかっただろうからその世界でやっていけただろう。

Q.芸能界に足を踏み入れて得られた物はないのかい?面白い事もあるし。
A.得られた物と失った物が同じくらいあると思う。
歌う事は昔から好きだったから、歌を人の前で歌えたり、演技も出来る。
そういったことは良い点だけど、同時にそれを得る為に前述のものを失ったと思ってる。

200年後にもう一度生まれたい


画像引用元:blog.naver.com(韓国語)

Q.またアルバムを出して歌を歌う計画は無いのかい?
A.初めにデビューをするときは歌をやりたかった。
しかし、歌手を続けてソロアルバムを出してっていうのはまだわからない。
歌を続けていくとは思う。
歌が嫌いになって演技を選択したんじゃなくて、演技が面白ろそうって思って始めた物だから。
今は演技の方が面白い。
歌う時は歌の方が面白くなるし。

Q.UNのメンバーだったチェ・ジョンウォン氏との仲が良くなくて解散したって話も聞くけど…
A.最初のファーストアルバムの時は二人とも合わない事があった。
二人の歌を歌うスタイルも違うし、完全にすべてが反対だったから。
さらに宗教まで正反対だ。(補足:ジョンウォン君はクリスチャンでジョンフン君は仏教徒ですね。)
ところが5年間一緒に過ごしたら、これを超越した。
後に本当に親しくなった。
お互いが何を好きで嫌いかとても良く知っているので、傾きそうになるのがわかって移動したり。
二人ともストレート言う方なので、それが歪曲して変な噂が出た。
今はジョンウォンが外国にいるんだけど「宮」の撮影の時は連絡がとれなくて、ずっと連絡しようと思ってて、ちょっと前に電話した。
僕が何か片想いしているわけじゃないんだけど..

Q.前にDMZっていう映画も撮ってなかったかい?また映画に挑戦してみるするつもりは無いのかい?
A.映画っていうのは2時間の間に圧縮して魅せる総合芸術だと思うんだけど、僕にはまだ準備が足りなかった。
DMZはスケジュールの関係で、あまり考えずにやったことでそれに対しては何も言えない。
映画に関心が無かったんじゃなくて、僕の準備ができていない状態だった。
今も同じ。
もっと準備をしてドラマももっとやって、修行を積んだ後にやりたいと思う。

Q.最近いちばん興味があることは何?
A.健康。
「宮」が始まってから運動も始めた。
ドラマを撮りながら乗馬への興味もわいたし、時間が出来たらスカイスポーツにもまた挑戦しようと思う。
パラグライダーの資格も持ってる。

Q.自分にとって1番大切な宝物があるとすれば?
A.パソコン。
去年買ったやつなんだけど、動作が遅くならない様に(自分で)直接中の部品を変えて組み立てた。
テレビも同じ。
洋服とか車とかには関心が無い。
家の中にある電子機器は全部宝物だ。

Q.あなたについて誤解と偏見を持ってる人々に言いたい事はない?
あなたが「宮」で良い演技を見せてくれても、まだ役者キム・ジョンフンに対して色眼鏡をかけて見る人々がいる。

A.初めから役者になる道だけを歩いて来たのではなく、様々な事をやりながらここまできた。
ハタから見ると根気がないと思われるかもしれないが、やりたい事が多すぎるのと「自分に出来る事はすべてやりたい」と思うので、最後まで終わらせずに続けて別の仕事をする事になるんだと思う。
だけど、出来る事は若いうちにすべてやっておきたいというのが僕の望みなんだ。
努力してるし、ただやりたい事が本当に多いんだなって良い様に見てくれたら嬉しい。

「200年後に再び生まれて来れたら良いな。
今の人生はこんな感じで生きて、次の人生は本物。
来世では特別に望む物は無いし、今やれる事をうまくやって、より良い道になる事を願うだけだ。
芸能界事業もやってみたい。
演劇映画科に通っているから学校に残って、より努力を重ねて教授をしてもみたい。」

20年後はどんな姿になっていることを望むかという質問に彼はこう答えた。
そして生まれ変わったら、絶対に他の所を見ずに勉強だけをするとのことだ。
しばらくの沈黙の後にバタバタと席を立ち上がるキム・ジョンフンの淡白さが気に入った。
急に人間としてのキム・ジョンフンが我慢出来ないくらいに気になってきた。
彼は今幸せなのか、それとも不幸せなんだろうか。
人生は必ずしも「こっち」や「あっち」という風に分けられるものではない。
人生の正解は誰にもわからない。

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